「メロディの非和声音」「コード進行の遅さ」について

Wham!「Last Christmas」


この曲はコード進行「1625」の繰り返しです。
以下は「移動ド」でメロディを書きだします。





サビ

「1の時」
レーーレード、ソ  (頭から非和声音の連発)
レレミドー、ソソ  (頭から非和声音の連発)

「6の時」
レレミードーーラ  (頭から非和声音の連発)
ラーーー、  (頭から非和声音、強拍に非和声音)

「2の時」
ミーーレーー、ラ  (頭から非和声音)
ファレーー、ド  (頭から非和声音、強拍に非和声音)

「5の時」
シシドシードーシ
ーソーー、、、、、





Aメロ

「1の時」
レー、レード、ド  (頭から非和声音の連発)
ソー、ミーレドーー  

「6の時」
、レレレレド、ド  (頭から非和声音の連発)
ララ、ミーレード  

「2の時」
ミーラドーレーー、  (頭から非和声音)
ミーラドーレー(頭から非和声音、強拍に非和声音)

「5の時」
、、シドド    (頭から非和声音)
ドーシーラーシラーーソー、  (頭から非和声音)


Bメロ

「1の時」
、、、、、、、ド
ドシドシド、、 (頭から非和声音)

「6の時」
レードシードレシ  (頭から非和声音)
ド、、  (頭から非和声音)

「2の時」
ミーレードーレ、レドミ  (頭から非和声音)
ーーレドレー、、、レド  (頭から非和声音)

「5の時」
レレドドシシド    (頭から非和声音)
シシシドシラソ、、、   (頭から非和声音)


■他の似たフレーズ省略










これに対してリテラシーが高いと思うポイントは主に二つ

①メロディが平気で「始まりから非和声音を打つ」、「強拍にも平気で非和声音を打つ」
②コード進行の速度が遅い

③同じコード進行で最後まで行くという「節操」







「メロディに非和声音を強く使えば"メロディに非和声音を強く使った時の雰囲気が出る"だけ」

 なんか作曲を教えるサイトでは「とりあえず和声音でメロディを~」とかあるけど、どうかと思う。なんか「強拍で非和声音を打っちゃいけないんだ」「少なくともコードを打ってからの始めには非和声音をあまり打っちゃいけないんだ」っていう思い込みを生んでしまうんじゃないかと思う。それはあくまでも「それっぽくなる簡単な方法」または「非和声音をメロディに大きく使わない時に出る特定の雰囲気を出す方法」でしかない。そこにこだわる必要はない。もし「非和声音を使った時に漂う雰囲気」を好むのならば、使って良いと思う。必ずしも前衛的になりすぎないし、ラストクリスマスはとてもノスタルジックな雰囲気を作っている。

 メロディの頭に非和声音を使うのは、「メロディの頭に非和声音を使った時の雰囲気」を出すためであり、例えばこの曲のように、悩むようなノスタルジーさのような雰囲気がその一つだと思う。






「コード進行には「進行速度」というのも醸し出す雰囲気に大きく影響するのだから、簡単に「俺は王道信仰はやんねぇぜ」とか「いつも通り王道進行使うかwww」ってなるのはどうか」

 ラストクリスマスはわりかし1625の繰り返しという、王道的な、何の変哲もないコード進行に見えるけど、実はこれはただの1625でなく、「1-1-1-1-6-6-6-6-2-2-2-2-5-5-5-5」だ。コードの進行が遅い。「遅いコード進行」から醸し出される雰囲気は、少しもどかしさとか、牧歌的な部分とか、ソウル的な感じとか、少し単調だとか、ある意味モノクロティックでマットだとか、いろいろあると思う。ただ単に「王道進行=悪」ではないし「王道進行やるぜ(=いつもの展開がやたら速い進行)」でもない。もっと「遅くしてみる」ってのも考えてほしいと思う。

 邦楽の進行は概して「やたらと速い」。だからやたらとアッパーで、やたらと煽ってくる感じになっている。それはそれで、醸し出される雰囲気があるから、好き嫌いで好きなら別に良いと思う。ただ、別にやたらとアッパーなのが好きなんじゃなければ、コード進行を遅くしてみるのはどうか?邦楽のやたらと速い進行になれて、もはや速く進行させなきゃ作曲が成り立たないようになってしまってるかもしれないけど。






「簡単なコード進行だと複雑な曲にならないのでは?簡単すぎるコード進行の繰り返しだと良い曲にならないのでは?は思い込み」

 作曲する人には「複雑なコード進行至上主義に近い」ような感じになっている人もいると思う。簡単なコード進行でも、やたらと進行を遅くすれば「特異」な曲になれる。それにラストクリスマスのようにメロディを工夫すれば、その他の曲と「印象がかぶらない曲」になれる。簡単なコード進行だと良い曲にするのは難しいかもしれないが、このようにメロディを工夫すると、そのズレのような少しの違和感から、感じさせる曲を作れると思う。必ずしも簡単なコード進行がいけないわけではない。

 少し前衛的な方法だけど、カノン進行だって、やたらと遅くして、1番のAメロからサビ終わりまででカノン進行を1回終わらせるくらいのスピードにすれば、そしてそれを良い曲にすることができたのならば、「とても特異な曲」になれるし、カノン進行の普遍性も持ち合わせている曲になれる。必ずしも王道進行が「イージー」で「使うのは素人」「商売だから使う安い技」などではない。





「節操無くコードを進行させて情動の動きを煽る邦楽は、やたらめったら恋人が危険に陥り主人公が助けに行ってなんらかの爆発を起こすハリウッド映画的なジェットコースター型音楽」

 ラストクリスマスは展開に節操がある。ほとんど展開が無いと言っても良いくらいだけどそれでも「良い曲」となっている。邦楽を作る人が「良い曲」を狙う時はなぜか「これでもかっていうくらいやたらと節操無いコード進行を、バリッバリにフォーマットに乗った展開差をつけまくり、やたらめったらでかいカタルシスを作る」という方法論を取ることがほとんどだが、それも確かに良い。だがそういうハリウッド的大感動!な音楽が本当にやりたい、聞きたい音楽かというとそうでもないと思う。

 ラストクリスマスのように、節操のある、遅くいコード進行でも「良い曲になる」。わざわざ「ありがちな邦楽のフォーマット」に乗っ取らなくても、たくさん「良い曲」になる方法はある。その方法は、必ずしもコード進行をやたらめったらドラマチックに動かしている曲ばかりではないのではないか?必ずしも良い曲はBメロの最後でVの和音の上で「ソ~~~~~」って伸ばすのばかりではない。

 他者の曲と同じ技法を使うと、それだけで飽きやすい曲になる。他者の曲と違う技法を使っていると、他人の曲とかぶらないので飽きに対する賞味期限が長い。賞味期限を延ばすには「良い曲であること」と「他の人と違う音楽的要素を使っていること(メロディでもコードでもなんでも)」ということが有効だと思う。また、他の曲と違うということだけでリスナーはある種の「違う感じ」を感じ取る。「違うな」という感覚をリスナーは欲しているので、他の曲と違うことをするだけで「良い曲だ」と思われる確率も上がる。




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つまり

×「メロディに非和声音を使うと不協和になる!!」
○「非和声音を使うと非和声音を使った時の雰囲気が出る


「コード進行には進行速度も雰囲気に大きく関係する」
「概して邦楽はやたらと速い(=アッパー)。邦楽耳になりすぎて、なんでもかんでもコード進行の速度を速くしてないか?」
「アッパーな曲に飽きたらコード進行が遅い曲を作るのはどうか?」


「曲の賞味期限を延ばすため、良い曲だと思われる確率を上げるために、他の人と違う音楽的要素を使用してみてはどうか?」

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